少数派の美意識

美術は幼稚園のお絵描きから挫折しているので

「もの」に対する意識は

「好きかそうじゃないか」だけ、おおざっぱな基準の私ですが

とても活躍されているデザイナーさんと話をしていたときに

「許せないデザインをみるとイライラするんだよね」という話になり

「例えばどんな?」と聞くと、

「例えば、そうだなあ・・・。あの椅子の、あのパーツが無駄。取り払ったほうがいい。なくていい」とキッパリ。

その人が指差したのは、

某ファミレスの、私にはなんてことのない椅子だったので

「う~む、行く先々でカンに障るデザインに出会うというのはしんどいだろうなあ」と

その感覚を共感できないことになんとなく申し訳ない気持ちになってしまったのですが

実は自分にも、同じようなこだわりがあることに気付きました。

私は「言葉」に敏感なようで

本を読むときに、ぐいぐい引きつける作家さんの文章にとことん惚れます。

言葉のチカラをふんだんに大切に発揮させている、生きている言葉がすごく好き。

そんな作家さんの本は、ありったけ読むのが日常ですが

中には

「この人、売りたい路線に変わった」と感じ取る瞬間というのがあって

(もしかしたら私がその文章に飽きたのかもしれないのですが)

微妙に

とても微妙に

「あ、この人、ウケる路線を意識してる」という匂いが伝わってくると

いっきに色褪せてしまう・・・。

たぶん、私以外にも、「わかる!」という読者、いると思うんだけど・・・?

どうでしょう?

あともうひとつ、こだわりがあるのが

イントネーション。

これに関しては、上記のデザイナーさんを超えるこだわりだと自覚しています。

「○○が~」←“ が ”が高く、語尾を伸ばす

「○○で~」←“ で ”が高く、語尾を伸ばす

こういうイントネーションが、やたらと気になります。

いちいち相槌を打たなくてはならないようで聞いていて疲れる・・・

ラジオからこんなしゃべり方が流れてこようものなら、即電源OFF。

母が昔アナウンサーだったので、イントネーションに敏感に育ったのかもしれないですが

言葉は、読んでも、聞いても、とてもチカラがあると思うので

発信する側は丁寧に大切に、意識して欲しいなあ

なんて

ブログに好き勝手な言葉を書いている私が言うのもなんですけど(笑)

こんな美意識は、たぶん、少数派なんだろうなあ

関西か(このイントネーションが成立しない)、英語圏(左に同じ)に行こうかなあ

それはさておき

そんな「言葉」フリークの私には、おすすめの本が山のようにあります。

久々に読んで、その文章の魅力に改めて脱帽しているのが

小野不由美さんの『十二国記』。

未完なのが惜しい・・・早く続きを読みたい・・・

ぐいぐい惹きつけられますよ!

SFはほとんど読みませんが、この本は、特別。

本当に本当に、いい言葉がたくさんたくさん詰まっているのです。

人間の、強さも弱さも優しさも残酷さも、不安も信頼も落胆も希望も、

どれもが愛しく思えてきて、泣けます・・・。

魅力ある本に出会いたい人、必読!!!

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