思うこと

西日本の豪雨で被害に遭われた皆様、大変な日々をすごされている皆様に

心からお見舞い申し上げます。

被害の状況、現地の様子をニュースで知るたびに

東日本大震災での日々、その後必死に現地ですごした年月のやりきれない気持ちがよみがえります

壊れ果てた目の前の景色に呆然としつつ、「いつ日常に戻れるのか」と将来が見えなくて絶望感の心細さを忘れられない。

豪雨に続き本格的な暑さの中、被害を受けた西日本の現地の皆様がどれだけ大変な思いをされていることか・・・。

一日も早く、安心な日常生活をすごせますように。

皆様どうぞ安全第一におすごしください。

 

大きな地震と豪雨を知り、西日本の大切な方々の安否を確認後

私は土地勘がなく、大変な地域の詳細をわからないため

現地で復旧活動する方々を支援しようと決めました

必要な品々と活動資金を届けるのが一番だと思う。

(支援先を探している方がもしいらしたら参考にしてください。私が信頼し尊敬している方々がこちらですスコップ団

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時間が経つにつれて明らかになっていく豪雨地域の被害の大きさと

それに対しての様々な情報発信を見ながら

何度もブログを書きかけては止め、書き始めては止め、を繰り返し

わざわざ書くことではない、と言い聞かせては

それでもやっぱり書かずにいられない

おそらくこれを読んで不快な気持ちになる方もいるのを承知で書こうと思います

それは、「自己満足の善意」というものの有難迷惑さ。

こう書くだけでかなり顰蹙(ひんしゅく)ですね。

でも・・・

東日本大震災の時、必死で現地で復旧活動していたころ、荒れ果てた景色の中、絶望感に押しつぶされそうになりながら一番ムカついたのは、遠い地域からの“善意のアピール” 。注:「善意」じゃないですよ。私が我慢できなかったのは、「善意のアピール」です。

無神経なメール(ハッキリ言って震災被害を受けた現地の気持ちを逆なでする「自分たちの地域もこの地震でけっこう大変なんですよ」というムダな内容)に添えられた、「祈ってます」という言葉。

電気も水も情報もなく、携帯の電池の残量を気にしながらすべて手探りだった長い日々と、その後数年の現地の大変さの中で

遠方から届く「祈ってます」、というメールに対して、「ありがとうございます」と返すしかなく

延々と終わりの見えない途方に暮れるしかない被災現場と

まるで別世界の日常生活を送る人から届く、「祈ってます」という綺麗な定型文みたいなメールに加え、疲れて返信せずにいたら返信を要求されたり、的外れな上から目線のアドバイス(?)・・・

あまりの感覚の違いに心底失望しました

いろんな人の「ほんとう」を知った時期でもあります。

「無関心」よりはまだいいかもしれない

でも

現地で必要なのは、水と食料と電気と生活用品、活動資金、日常生活を取り戻す手段なときに

“「何かいいことをやってるつもりの祈り」って、意味あるの?”と思った

そう感じる自分が心が狭いようでイヤにもなりましたが

もしも、もしも。「祈ってます」という “善意をアピール” する人が、祈りによって何かを変えられるほどのチカラを持っている覚醒者なら、それもいい。どんどんやってほしいと思う

だけど今の時代、祈りで何かを変えるにはまだまだ時間がかかるだろうし

想いを実現するには行動が必要なのは当たり前のことじゃないでしょうか

というより、もしも、もしも。祈りで現実を変えるすごい人がいるなら、この震災の惨状だけにとどまらず、世の中の自然災害や病気、悲しい出来事のすべてを今すぐ止めて!と心の底から思いました

 

 

念のため書き添えますが、私は祈りにチカラがあると思うし、物事の始まりは「想い」だと思う

夢を叶えるうえで想いのパワーが一番大事だと思う

今までの人生の中で想いが実現した、ミラクルのような出来事もいろいろ体験してきています

だけど祈りって、【当たり前】のことじゃないですか?湧き出てくるものじゃないですか?「祈ってます」なんてアピール、不要じゃないですか?

その祈る想いをもとにどう行動するかが、変化を起こす基盤ではないでしょうか。

 

被災地に対する支援は、現地を思う想像力が必要で

もし被害を受けたのが自分だったら何が必要か?を正直に考えてほしい

東日本大震災の時、現地で活動する日々の中、たくさんの温かな物資支援、資金の支援、様々なフォローを頂きました

本当にありがたかったです。このブログを読んで支援してくださった皆さまに、今も心から感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

それとは別に

現地で活動続ける支援団体の中で物資を仕分けしていたとき

支援とは絶対言えない、明らかな不用品も中にはありました

「現地にどうぞ(もううちはこれいらないから)」と、子供の使い古したおもちゃを段ボールに詰めて渡されたり

あきらかに自宅でいらなくなったのであろう古い鍋が届いたり。

不用品の処分と支援は絶対に違う

ありがとうと言って受け取るしかない被災地の方々の気持ちをわかっていない、とやりきれなくなりました。

 

大変な状況になったとき

手を差し伸べてくれる人の温かさ、優しさ、支えてくれるありがたさにどれだけ励まされてきたかわからない

きっと誰もがそうだと思う。

だからこそ

“「いいことをしてる」という自己アピール” を目的とした祈りや癒し系イベントや情報発信ではなく

不用品を送る ような “自己満足の善意” を押し付けるのでもなく

支援を受ける側の状況、現地に何が必要かを明確にして、できることをするのが大事だと私は思います。

 

繰り返しますが、このブログ読者の皆様に、「自己満足の善意の人」がいるなんてこれっぽっちも思っていません

「自分のことでは・・・」と万が一思われた方がいたなら、そうではありませんので誤解しないで欲しい。

ハーブクッキーを通じてお力添え頂いた方々、温かな支援とエールを届けてくれた方々、想いのこもったメッセージで励ましてくれた方々は私の最高の宝物です。その節は本当にありがとうございました。

自然災害が起こると、どうしても3.11 から必死にすごした時期のいろいろなことがありありと思い出されてつい感情的な文章になりました(これでもけっこう抑えて書いてますけど)

何度も書き直してずいぶん時間がかかりつつ。

 

自分にできることがどれだけちっぽけかなんて、私が一番知っているけれど

微力でも、できることを、ひとつずつ。

自然災害時だけじゃなく

自分が納得できることを積み重ねていこうと思います。

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暑い日は、日陰を求めてもみじの木の下にもぐりこむ太郎Jr.。

ちなみに太郎Jr. は、私がシビラのスペシャルイベントで東京へ出かけたとき

「いない!尚美ちゃんがいない!いったいどこに行ったんだー!!!」と

150cmほどの柵をよじ登って乗り越え(驚愕の脚力)、私を探していたらしいです

勢いづいて柵を乗り越えたのはいいものの、戻りたいのに戻れなくて皆に手間をかけるあたり、まったくもー・・・

そんなやんちゃなところも可愛い♡

 

 

 

 

 

 

【お知らせ①】

7月のハーブクッキーのご注文くださった皆さま、嬉しい感想の数々、ありがとうございました。

7月限定の3種、今週も焼きますのでご希望の方は7/17 までにお知らせください。(その後は9月半ばまでハーブクッキーは夏休み予定です)

【お知らせ②)

9/17  に、スペシャルイベントを開催します。詳細は決まり次第ブログでご案内しますので

興味のある方は日程確保なさってくださいね(女性限定)

 

暑い日が続きますが、皆さまどうぞお元気で!

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